聖書の勉強会レポート 01

こんにちは、ゲノです。

本日2011年12月6日、毎週火曜日のオープン聖書勉強会が開かれました。

今日は、ガラテヤ人への手紙から学びました。

「いったん信仰が現れた以上、わたしたちは、もはや養育掛のもとにはいない。 あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。キリストに合うバプテスマを受けたあなたがたは、皆キリストを着たのである。 もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。」

今日もまた、なごやかな、いい空気の中で、勉強会が出来ました。

最近、「若返る」をテーマにして消費を促すマーケティング手法が目につくのは私だけでしょうか。
消費社会に生きる私達ですから「意欲」を生むためのタイムリーなテーマの選択はマーケティングの最重要課題の一つかと思います。

宣教師として日本にいる私にとって、この聖書勉強会で、自由にタイムリーなテーマを選択して「聖書の学び」が出来ることは、自分自身の心の姿勢の「若返り」となっている。つまり、人として見るべきものに目をとめ、生きていくための指針、知恵の再確認つまり若返る(初心を覚える)機会だ。

最近、ブライダル業界で結婚式を執り行っている外国人、そして、日本人司式者・牧師先生方の研修サポートについて考えさせられる機会が多い。 そのテーマがとても面白い。 
そして、言葉や作法というスキルを磨くことは当然であるが、「Be stil」ということばのように、心を静め、新郎新婦のために心の儀式を執り行うという意義を心で受け止め、じっくり揺るぎない根本精神の確認ができるきっかけになっている。

「信者が少ない日本で宣教するって大変でしょう」と言われるが、子供の頃からいたずら大好きのせいもあって、茶目っ気精神を保つ自分は 神様が自分に与えてくれたこの宣教という使命を心地よく受け止めながら日本でお役に立ちたいと願っている。

実はパウロの手紙の宛先になったローマ、ガラテヤ、エフェソ、フィリピ、コリントなどの人達はどんな社会で生きていたのか21世紀の私たちには想像できない面が多い。ところは、日本で宣教すれば「信者が少ない」というのはパウロが宣教していた当時の状況にちょっと似てる部分があると私は見ている。でも逆に代々に亘ってキリスト教によって構成された文化や社会の中で生まれ育った自分にとってこの状況を味わえることは貴重な経験だ。

私達、宣教師は、日本に来て、本当に「養育掛のもとにはいなくていい」のかを、謙虚に自分自身に問いながら「キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである」 という励ましを受けていることを感謝し、奉仕と業に励みます。
福音を伝えることを通して、キリストの教えを理解してくださる方々が増えることを願いながら、教えるという活動と共に、自分自身の学びを深め続けることが、出会う方々へのフェアーさであり、本物のの仕事をすることになると思う今日でした。

在主。

ガラテヤ人への手紙第3章19ー29節。

それでは、律法はなんであるか。それは違反を促すため、あとから加えられたのであって、約束されていた子孫が来るまで存続するだけのものであり、かつ、天使たちをとおし、仲介者の手によって制定されたものにすぎない。 仲介者なるものは、一方だけに属する者ではない。しかし、神はひとりである。 では、律法は神の約束と相いれないものか。断じてそうではない。もし人を生かす力のある律法が与えられていたとすれば、義はたしかに律法によって実現されたであろう。 しかし、約束が、信じる人々にイエス・キリストに対する信仰によって与えられるために、聖書はすべての人を罪の下に閉じ込めたのである。しかし、信仰が現れる前には、わたしたちは律法の下で監視されており、やがて啓示される信仰の時まで閉じ込められていた。このようにして律法は、信仰によって義とされるために、わたしたちをキリストに連れて行く養育掛となったのである。 しかし、いったん信仰が現れた以上、わたしたちは、もはや養育掛のもとにはいない。 あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。キリストに合うバプテスマを受けたあなたがたは、皆キリストを着たのである。 もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである。 もしキリストのものであるなら、あなたがたはアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのである。

今日の祈り
神様、貴方の恵みにより教会に一生懸命に働くメンバーが集まり、新しいブログも準備されたことを感謝しております。このブログでは、これから、ハングル、日本語、英語、フランス語、中国語で書かれるかと思います。
いろんな記事を通じて筆者と読者、互いに考え深まり、そして、その与えられる恵まれた豊かの中で、こころが通い合うように導いて下さい。
想い、言葉、こころと魂を文章でまとめる作業は、私たち人間だけでは無理ですので、私達、宣教師の力になってくださりますようにお祈りを致します。 母国語でない言葉で努力する人々もいますので多少分かりにくいことが書いてあっても、どうぞそれが読者に失礼や誤解にならないように見守って、どうか正しい言葉を教えて下さることを期待しております。主イエス・キリストの御名によってお祈りをささげます、アメン。

 

 

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